亀の甲より、本を読んどこう。

いろいろ書くのやめて、読書ブログにします。

求人広告サイトだけで天職を探そうとしてもアカンですよ

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このキャラクター、桜ミクにしか見えないのはボクだけ? 笑

■君は、どうやって仕事探ししてる?

ブログを開始してから、わりと昔話ばかりで恐縮ですが、過去の自分は凝り固まった感覚(行きたい業界以外に行きたくないこだわりぶり。つまりは、典型的なO型の特徴ですが=頑固)を持っていて、リ○ナビとエ○・ジャパンしか登録していませんでした。リ○ナビにいたっては、リ○ルートという大手がやってるから、日本の主要企業がほとんど集まっていると思っていたほどです(そんなことはあるわけないのですが)。その後の人生、他にも求人広告サイトは色んな所を使いましたが、結局のところ、求人広告サイトだけ使っていても、天職でなくても、よい企業に巡り合えるとは思えません。

広告業界には、クロスメディア、アニメの世界では、メディアミックスという表現が用いられますが、就活にも、クロスシューカツが必要だと、今の僕は考えています。クロスシューカツというと、クロワッサン+シュークリーム+カツみたいな新種のスイーツみたいですけど。すいません、余談です。ここでは、クロシューとでも呼びましょう。

要は、求人サイトも説明会もハロワも人づても雑誌に出てきた企業も旅先で出会った企業もテレビで見知った企業も知人の紹介も親戚のおじちゃんの企業も、あらゆる場所に就職先は転がっていると考えることで、自分と結びつく企業との接点を増やすことが大切です。ある意味、SNSみたいな考え方であり、アンテナを広げるとはこういうことを言うのではないかと思います。

■会社にいる限り、100%自由になんてできるわけがない

はじめての就活をする大学生や高校生の方々からすると、真面目に抜け目なく、面接をくぐりぬけ、仕事を得たいという気持ちはわかります。現に、日本の面接はリクルートスーツや学生服に身を包んだ社員候補と、一期一会で人材を見抜くわけですから、ミスマッチ率は高くなってしまうと思います。要は、外見だけの判断で。それを如実に証明し、問題になっているのが、国会議員の公募制度です。公募ということは素晴らしいことで、一般市民からでも家柄に関係なく、政治家の道が確保されているのはよいことだと僕は考えています。ただ、こう問題ばかり起きると、やはり外見で判断するしかないから、失敗を招いている、というより、人を外見だけで判断するのはいかに難しいか、人はいかに取り繕うのが上手いかを証明しているとでも言えるでしょう。

第一、会社というのも一種の公共の場ですから、そこでの自分の顔がプライベートの自分と100%一致するかというと、そんなわけがありません。上下関係があり、言葉遣いも丁寧である必要が当然のようにあります。ですから、社会人の顔をしつつも、したたかに自分のアイデアや考えを、時に、ぶっこんで、自分の性格を嫌がられないように徐々に浸透させていかなければなりません。これを世の中では、キャラづくりと言いますが、言い換えれば、今流行りの自己プロデュースです。

 

というと、やはり、外見での勝負も大事ということになってくるのですが、問題なのは「よく見える外見」と「外見にそぐわない中身(心)」です。裏表のない性格とでも言いましょうか、結局、人の前でいい格好をしても、人のいないところで、何を言ってるか分からない人間と付き合いたくはありませんよね。

僕自身、自分で言うのもあれですが、基本、裏表のない人間だと思っています。これもO型の成せる、おおらか力(鈍感と言われたりもしますが、鈍感力はかの渡辺淳一先生が編み出した名言だと思っています)ではないでしょうか。

たしかに、裏表のない人間はいないというか、かく言う自分も裏表はあります。裏表ではなく、場面によって顔や口調を変えるのは、ある意味、社会人の嗜みではないかとさえ思います。

ですから、時と場合とシーンにおいて、自分を使い分け、ただ、本心はいつも一つである(ブレない心)ことで、会社という公共の場で生き残っていくこともできるし、人生を上手く過ごすことができるのではと考えます。

そもそも100%自由にできる自分という言葉自体がちょっと違和感がありませんか?(自分で言っといて 笑)。

どんな時でも自分を使い分けられるのは、自分自身なのですから、たしかに100%ですし、ただ、外部環境によって自分から発せられる言葉や仕草は100%ではなくなります。しかしながら、状況によって、自分の願望やアイデアを上手く送り込みたいと考え、その時に人間は頭を働かせて、自分をコントロールし、願いを叶えようとします。それがある意味、仕事ではないかと思います。かけひきなんて言葉もそぐわしいかもしれません。ただ、そこまで自分が狡猾に毎日を過ごしているとは思えませんけど。

会社という組織に入るというのは、そういうことじゃないかと思います。自分が経営者であれば決裁権という自由さを手に出来ますが、経営者でも周り(クライアントやお客様、取引先だけでなく、社員や部下)に気の遣えない人間は、良い経営者とは言えないのではないかと僕は思います(気が遣えなくても、絶対的なカリスマというものがあれば、大丈夫だと思いますが、なかなかカリスマを身に着けるのは至難の業です)。

人はどんな生まれであれ、生きている限り、大小にかかわらず、あらゆる制約を受けます。ビジネスや仕事の場でも、人は制約から逃れることはできません。アラブの石油王も、些細なコンプレックスで悩み、それはお金で解決できることではないかもしれないのです。

人はあらゆる制約下の中で、最大限のパフォーマンスを生み出すことこそが、仕事の根幹だと思います。この言葉、広告業界ではよく似たようなことを聞きます。つまりは、制約が大きい業界なのかもしれませんね。

 

しかし、その制約下で最大限のパフォーマンスを引き出すために、頭を使って、時に動いて、アイデアをひねりだし、実現化するというのはアドレナリン大爆発の楽しいこと、つまりは仕事(はたらく)であると僕は毎日、考えています。そこが、僕の中身ですね。

さぁ、あなたの中身はどんなものでしょう?
外見と偽りのないものでしょうか。

小手先の就活ほど、役に立たないものはない

 

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たまたま、NHKを観ていたら流れた「花は咲く」のアニメスター・バージョン。新しきも古きも素晴らしいアニメのコラボ映像に母ともども、感動いたしました。

エントリーシート対策、面接対策、はたらくとは関係ない気がする

20代の頃、就活対策のようなブログを立ち上げたことがあるけれど、その時の自分が考えたのは、ウケるエントリーシートの書き方のようなものだったと思います。今現在、書く仕事も兼ねているので、今でもウケるエントリーシートであったり、ウケる面接対策ということも書けなくはないと思いますが、なんだか、それって実際に「はたらく」とはかけ離れているように思えて仕方ありません。

確かに、伝わる文章、伝わるプレゼンというのは自分が身を置く広告業においてもそうですし、人間が人間に訴えかける以上、どんな世界でも必要なテクニックです。つまりは、テクニック(小手先)でしかない気がします。小手先を極めると、テクニックになるとも言えますが、それよりも大事なことは、感情(想い)なんだと思います。

本当に自分の気持ちを伝えるほうが、受かったあと、ちゃんと仕事に打ち込めますし、自分の想いを固く描いておけば、いつまでも努力し続けられます。小手先で、エントリーシートや面接を切り拓いていく頭のいい人、よく見せるのがうまい人は沢山いると思いますが(実際、そういう人が何社も内定をかっさらっていくような気がします)、結局、彼らには、その仕事に就きたいという魂がない。だから、さっと辞めていく。ある種、彼らにとっては内定取得ゲームでしかないのだと思います。それはそれで、のちのち働きだしてから、苦労すると思うので色々、考え直す機会にぜひ直面してほしいものですが、自分が本当に何をしたいのかをはっきりさせておくことは、就活でも、転職でもやはり大きな職業選択の判断基準になるのではないでしょうか。


エントリーシートも、面接も通らないなら、視点を変えてみる

学生時代でエントリーシートを何十社にも送りましたが、勝率は7割くらいでした。ただ、しゃべるのが苦手で面接ではボロボロ。それで受かった会社も色々あって、9か月で辞めます。「はたらきたくない!」と思って、二年間ふらふらし、入った会社はブラックだったり。結果、精神的に鍛えられましたが、まず、働いてみるというのは大事だと思います。自分自身、何社も渡り歩いたことで、世の中にはピンからキリまで数多の会社があることに気付きました。

今、エントリーシートや面接で手こずっている人は、もしかすると、ものすごいハイレベルな会社をねらっているのではないでしょうか? ちょっと敷居を下げて、中小企業に履歴書を送ってみてはいかがでしょう。大企業や名の知れた会社は、あっさりとした格式ばった面接をしてくると思います。ですが、中小企業であれば、その面接の仕方もまた様変わりします。どっちの面接がいいのかは決して決められるものではありませんが、その時のフィーリング(空気感)は良い勉強になるのではないでしょうか。

自分をよく見せようとするばかり、なんとなく、嘘の自分を売り込んでいると、結局、はたらきだしてから苦労します。というか、疲れます。結局は、想いの強さ、そして、それを伝えられる力があれば、鬼に金棒です。これが前後してしまうと、なんで働いているのか、わからなくなってしまいますし、お金のため(生活のため)にしか働けなくなってしまいます。そうなると、行きつく先は、リストラ(戦力外通告)か自己都合退職です。

やっぱり、好きまたは使命(意義)を見つけることが、はたらく上で大事なんじゃないかと思います。伝達力とかアイデア力とかプレゼン力いう小手先(テクニック)は勉強すれば身に付きますしね。

都会に住むメリットってなにか考える

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いつだかの自宅お昼ごはん。グリーンメインにしてみました。

 

■地方で生活してると思うんですけど、待機児童問題って、なに?

待機児童問題を知らないわけじゃありません。「保育園落ちた。日本死ね」なんて、ぶっそうな言葉が飛び交ったことで、更に加速度を見せる待機児童問題ですからね。

しかし、思うのですが、少子化社会の日本で、地方に行けば行くほど(若い)人がいない。この間、お話を聞いた幼稚園の先生によると、待機児童なんてウチの町ではありえないとのこと。容易に予想が付くことではありますが、地方は人材不足で、幼稚園・保育園も空きの多いばかり。むしろ、幼稚園・保育園の経営環境から考えれば、むしろ、お子さんにどんどん来てほしいと思う地方都市の数々ではないでしょうか。

都会に就職すると、結婚して、子どもが生まれたとすると近い将来、避けられないのは待機児童問題。仕事に就くことだけを考えて、都会に出ていくことを考えれば(昔の僕)、こうした問題に悩まなければならなかったでしょう。僕は独り身の自由な生活をいろいろあって、実家で楽しんでおりますが、ゆくゆく結婚した場合、待機児童問題で悩むことはまずないと言えるでしょう。

このように問題が起きる前に対処することを、リスク回避なんて言います。僕が好きな言葉を用いて言えば、「風が吹けば桶屋が儲かる」を予測するとでも言いましょうか、起こりうる問題を色々考えたうえで、就活やはたらく場所を考えることは、企業研究や業界研究をする以上に、自分の人生設計を考えれば必要なことではないかと思います。

 

■都会は情報過多。地方は謎だらけ。あなたならどっちに行きたい?

 

ヒルナンデスは好きなTV番組のひとつですが、世の中のほとんどの情報は東京近辺の情報が溢れかえっています。特に、TVは。僕の住んでいる北海道は、ローカルTV局が充実していますが、それでも殆どの情報は札幌のランチ情報が多かったり、やはり、情報の中心地は札幌です。NHKは朝、北海道の地方都市を特集してくれたりするので、地元民からするとおもしろいです。最近ですと、北海道新幹線が開業間近なので、函館周辺の情報は非常に多いです。

しかし、この情報化社会というインターネット全盛で、いつ、どこでも情報を取れる世の中にあって、東京・大阪・京都・札幌・福岡など、主要都市の情報は正直、飽きちゃった自分がいます。もちろん、そうした主要都市にいれば、新しいものが次々、生まれて、目新しさがあります。逆に言えば、だからこそ飽きないのですが、変わりすぎて疲れる気が僕の中ではしています。30歳になったからでしょうかね。

それに、自分の趣味が読書とコンテストの作品をつくることであったり、料理や釣りといったインドア&アウトドアでも自然があるところでないとできないことを考えれば、自分って都会、向かないんだと最近、よく気付きました。本は大きい本屋やネット買えますし、スーパーもわりと近くにありますし、もはやあくせくして、都会で働き、満員電車に揺られる必要もなく、ゆとりを持って働けます。

都会に住むと、最先端の中にいるようで、疲れることばかりです。あの、大震災があった日、東京での帰宅難民の光景は忘れることができません。それでも、いまだに都会に残っている人は、そこに自分の会社があるからという理由だけで動けていないのではないでしょうか。

自分の会社なんていうのは、日本、あるいは世界のどこにでもあるものかもしれません。ここの選択肢を広げる術の一つは、地方に友達をつくることだと思います。さすがに、縁もゆかりも無さすぎると地方に飛ぶのは危険かもしれません。それは地方にはつながりをつくる術(インフラ)が整っていない場合が多々あるからです。そこは、ある意味、地方自治体がUIJターンを促進したいならば力を入れなければいけない部分であり、ビジネスチャンスだと思っています。

今だから言えることは、就活・転職をする場合、近場だけでなく、選択肢をもっと広くに持ち、給与額・福利厚生といった会社の中身のことだけでなく、はたらく環境のことも考えられると、より働きやすい職場が見つかるのではないでしょうか。

なにより、誰も知らないようなところでは情報が少ないので、そこの情報を発信して、ビジネスを確立することも、町の第一人者として生きることも可能になるのではないかと僕は考えています。それに、誰もが知っている楽しさより、誰も知らない楽しさを見つけて、自分で楽しんで、周りに教えてあげられたら、それほど人間として役立つこと、世間の助けになることは他にないと思います。

自分の仕事もしながら、世の中(地方)の仕事もできると考えると、地方暮らしほど人生を豊かにしてくれるものはないと思います。主要都市はいつだって、誰かが代わりに働いてくれますしね。